皆さんの大腸穿孔体験☆ギーヌさんの場合☆
2021年 12月 04日
早速ギーヌさんからメールを頂きました。ありがとうございます。コロナと同時進行で、大変な時期でしたし、まだ閉鎖して間もなく、苦労が多いと思います。お大事にして下さい。原文そのままを掲載させて頂きます。
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こんにちは
11月15日のブログにてコメントさせて頂いた、
ギーヌと申します。
KAZUさんのブログは大変参考になりました。
体験談を募集との事で、私の体験談…が参考になるか?
分かりませんが、一応書いていこうと思います。
(ちょっと長くなります)
2020年1月14日
事の発端は「石」(尿路結石)でした。
慌てて近くの泌尿器クリニックを訪れ、
診察(エコー)してもらったところ…
幸いにも石はこの1つだけ。
腎臓にも膀胱にも石は見当たらない。
たまたま出来た1個の石が、運良く出て来たと。
ただ…膀胱の裏側?辺りに、巨大な影が見えます。
紹介状書くので大きな病院でしっかり検査した方が良いと…
2日後
当該病院で再度エコー検査。確かに何かある。
肛門から触診すると、直腸の裏側?(背中側?)
更に数日後
CTとMRI検査を実施。すると…
ソフトボール大の巨大な腫瘍が骨盤のど真ん中にドーン!
医師達も「何じゃこりゃ…見た事ない!」と
腫瘍の正体は不明だが、これだけ巨大な物が
骨盤内にある事で、直腸と膀胱が圧迫され、
尿管が狭くなり、それで石が出来たんだろうと。
(尿酸値は普通なので、石が出来やすい体質ではない)
不思議と、便はまあまあ普通?に出てた…
(慢性的に緩い便だったせいか?)
オシッコの出は確かに悪かったです。
歳取ると、いわゆる「オシッコのキレが悪くなる」
では無く、膀胱が圧迫されている事で尿道が狭くなって
いた事によるものでした。
医師達も、さて困った。こんなの見た事無い。
准教授クラスの医師達も難しい顔。
血液検査や内視鏡での成分分析からも、悪い物では無い。
はっきり分からないが、膿疱(水たまり)の様な物だろう。
形も、本当にソフトボールみたいにまん丸。
悪性腫瘍みたいな、無骨な形とは違う。
などなど、あーでもない、こーでもない言ってたら…
2020年3月30日
朝、尋常じゃないぐらいの、味わった事の無い
「死」を過ぎるほどの激しい腹痛に襲われ、
何とか救急車を呼びました。
医師達は恐らく「嫌な予感」がしたんだと思い、
着いてすぐにCT検査へ。
「嫌な予感」は的中。
膿疱と直腸に小さな穴が空き、腹部内へ便が漏れ、
腹膜炎を起こし始めていました。
そのまま緊急手術→入院へ。
目が覚めるとICU。目が悪い為メガネが無いと、
医師や看護婦の顔もよく分からない。
壁にかかった時計も…何時なんだろう?
救急車で運ばれて…あれから何時間経ったんだろう?
点滴3つ、排液ドレンの管5本、酸素マスク、
心電図等と思われるコードもたくさん。
手術着と腹帯で覆われてて良く見えないが、
腹をザックリ切られたんだろうな…
痛み止めの点滴?が効いてるとは言え、ズキズキ痛い…
呆然としながらも
「大変な事になった。大変な病気をしてしまった」
と半分絶望感に浸っていました。
麻酔でボンヤリしてるせいもあるが、とにかく痛くて
寝返りも打てない。携帯も無い。テレビや雑誌など
暇を潰すアイテムも何も無いまま3日を過ごす。
(途中、奥の方の看護婦の会話から、
どうやら志村けんが亡くなったと言う事を知る)
2020年4月3日
ようやく、一般病棟へ。
姉が携帯、時計、メガネ他、色々持って来てくれた。
これで外との連絡が取れるようになる。
年度末ギリギリでの緊急入院。会社への連絡やら
勤務表の処理等、放置したまま。
外の世界は、新型コロナウイルスが本格的に流行り始め、
1回目の緊急事態宣言も発せられるなど、大混乱。
病院も面会、お見舞いは全面禁止。
私は結局2ヶ月もの間入院していたのですが、
その間、友人や家族等、一切会えない日々が
この時始まりました。看護師さん達の笑顔だけが、
唯一の癒しでした。
本来なら1ヶ月程度で(排液ドレン付きだが)
退院しても良いとは言われてたのですが…
私が入院中、まさかの父と母が2人とも脳梗塞で倒れ、
2人とも入院。私も入院。
全滅状態でした。(姉は嫁いでるので市外)
私が倒れたから、私のせいだ、と、
自分で自分を責めるだろうと、
姉はギリギリまで黙ってましたが…
実は両親とも入院した。家には誰もいない。
もし万が一ドレンの管が抜けたり等何かあったら
誰も助けてくれる人はいない。
世間はコロナ禍真っ只中。
もうしばらくそこに居なさいと…
まあ…ショックではありましたが、そういう事ならと。
医師達も事情を知り、じゃあ…もうしばらく居なさいと。
腹をくくりました。
点滴が終わり、流動食→五分粥→全粥と食べられる様に。
傷の痛みもだいぶ落ち着いて来た。
理学療法士が来た時だけじゃなく、
自主的に歩いてみよう。少しずつ距離を伸ばしていく。
ストマの処理もビビりながらも練習を重ね、慣れていく。
入院中に傷はほぼ完全に癒え、ストマ処理も大体バッチリ。
毎日毎日病棟内の廊下を、
1日1万2千歩を目標にひたすら歩き続けました。
(あの人1日中歩いてる?と、ちょっとだけ有名人に)
2020年5月24日
傷も塞がった、ストマ処理もバッチリ、体力も充分。
いよいよ退院。
どうせコロナ禍で誰も迎えに来ないし。
あえて?日曜日退院を選択。
2020年6月1日
仕事復帰。
それから2ヶ月後、両親がリハビリ病院から退院。
自分自身がオストメイトというハンデを負いながら、
両親の介護という、なかなかヘビーな生活が始まります。
話し戻りますが、正体不明のソフトボール嚢胞ですが、
たまたま偶然、塞いであるはずの直腸と癒着?し、
肛門から粘液便として、少しずつ、少しずつ
出て来ていました。実は排液ドレンは退院後もしばらく
付いたままだったのですが(ガンダムのザクみたい?)
肛門から出ているのであれば、要らないかと判断し
退院後更に1ヶ月経過後引き抜きました。
後は、皆さんと大体同じだと思いますが、
定期的な通院を繰り返しながら、
ストマとお付き合いの日々。
私の場合は、そのソフトボール嚢胞が
完全に消え去らないと元に
戻せなかったので…
何度も何度もCTやら採血検査をし、
内視鏡検査を経て「完全に消えた」
いよいよ元に戻せる時が来ましたよ、
と医師判断が出るまでに、実に1年8ヶ月もかかりました…。
私の場合は、大変な事といえば、どちらかと言えば
両親介護の方でした。平日の昼間はデイサービスやら
訪問ヘルパーなどを利用し、やりくりしてもらってましたが、
朝食、夕食の準備、後片付け、掃除洗濯、
トイレ掃除、風呂掃除など、今まで母親に任せっきりで
何にもして来なかったズボラ人には
これらが1番きつかったですね。
タバコは退院と同時に辞めました。
コンビニへは滅多に行かなくなりました。
安いスーパーで3割引やら半額のお惣菜など、
いい意味でケチ?になりました。
自分自身と、両親の医療費控除(確定申告)やら、
何か色々社会勉強させてもらった気がします。
コロナがあっても無くても…
まあ必然的に自粛生活になりました。
2021年11月11日
いよいよ元に戻すべく、再度入院。
(その前に両親も再度リハビリ病院へ入院させて)
下剤飲んで、翌日(12日)手術しました。
相変わらず痛い…痛くて堪らん状態にも関わらず、
看護師は「歩きましょう!」マジか…
でも、懐かしい顔ぶれ。数人異動したみたいだか、
昨年と、ほぼ同じ看護師達の顔ぶれ。
「おっ!いよいよ閉じたんですね!長かったね!」
など、声かけてもらったり。
術後4〜5日目ぐらいから、段々と動ける様に。
点滴、排液ドレンの管など、徐々に外れて身軽に。
術後7日目で、久しぶりのシャワー。気持ち良いです。
ガシガシ洗い過ぎて、少し顔がヒリヒリ…
2021年11月22日
退院。縦の傷とストマ後の穴?にガーゼを貼りながら
傷が癒えるのを待っている状態です。
現在は体力をつけ、再び両親を向かい入れつつ、
仕事に復帰する準備中です。
以上です。
ダラダラと長ったらしく、すいませんでした。
11月15日のブログにてコメントさせて頂いた、
ギーヌと申します。
KAZUさんのブログは大変参考になりました。
体験談を募集との事で、私の体験談…が参考になるか?
分かりませんが、一応書いていこうと思います。
(ちょっと長くなります)
2020年1月14日
事の発端は「石」(尿路結石)でした。
慌てて近くの泌尿器クリニックを訪れ、
診察(エコー)してもらったところ…
幸いにも石はこの1つだけ。
腎臓にも膀胱にも石は見当たらない。
たまたま出来た1個の石が、運良く出て来たと。
ただ…膀胱の裏側?辺りに、巨大な影が見えます。
紹介状書くので大きな病院でしっかり検査した方が良いと…
2日後
当該病院で再度エコー検査。確かに何かある。
肛門から触診すると、直腸の裏側?(背中側?)
更に数日後
CTとMRI検査を実施。すると…
ソフトボール大の巨大な腫瘍が骨盤のど真ん中にドーン!
医師達も「何じゃこりゃ…見た事ない!」と
腫瘍の正体は不明だが、これだけ巨大な物が
骨盤内にある事で、直腸と膀胱が圧迫され、
尿管が狭くなり、それで石が出来たんだろうと。
(尿酸値は普通なので、石が出来やすい体質ではない)
不思議と、便はまあまあ普通?に出てた…
(慢性的に緩い便だったせいか?)
オシッコの出は確かに悪かったです。
歳取ると、いわゆる「オシッコのキレが悪くなる」
では無く、膀胱が圧迫されている事で尿道が狭くなって
いた事によるものでした。
医師達も、さて困った。こんなの見た事無い。
准教授クラスの医師達も難しい顔。
血液検査や内視鏡での成分分析からも、悪い物では無い。
はっきり分からないが、膿疱(水たまり)の様な物だろう。
形も、本当にソフトボールみたいにまん丸。
悪性腫瘍みたいな、無骨な形とは違う。
などなど、あーでもない、こーでもない言ってたら…
2020年3月30日
朝、尋常じゃないぐらいの、味わった事の無い
「死」を過ぎるほどの激しい腹痛に襲われ、
何とか救急車を呼びました。
医師達は恐らく「嫌な予感」がしたんだと思い、
着いてすぐにCT検査へ。
「嫌な予感」は的中。
膿疱と直腸に小さな穴が空き、腹部内へ便が漏れ、
腹膜炎を起こし始めていました。
そのまま緊急手術→入院へ。
目が覚めるとICU。目が悪い為メガネが無いと、
医師や看護婦の顔もよく分からない。
壁にかかった時計も…何時なんだろう?
救急車で運ばれて…あれから何時間経ったんだろう?
点滴3つ、排液ドレンの管5本、酸素マスク、
心電図等と思われるコードもたくさん。
手術着と腹帯で覆われてて良く見えないが、
腹をザックリ切られたんだろうな…
痛み止めの点滴?が効いてるとは言え、ズキズキ痛い…
呆然としながらも
「大変な事になった。大変な病気をしてしまった」
と半分絶望感に浸っていました。
麻酔でボンヤリしてるせいもあるが、とにかく痛くて
寝返りも打てない。携帯も無い。テレビや雑誌など
暇を潰すアイテムも何も無いまま3日を過ごす。
(途中、奥の方の看護婦の会話から、
どうやら志村けんが亡くなったと言う事を知る)
2020年4月3日
ようやく、一般病棟へ。
姉が携帯、時計、メガネ他、色々持って来てくれた。
これで外との連絡が取れるようになる。
年度末ギリギリでの緊急入院。会社への連絡やら
勤務表の処理等、放置したまま。
外の世界は、新型コロナウイルスが本格的に流行り始め、
1回目の緊急事態宣言も発せられるなど、大混乱。
病院も面会、お見舞いは全面禁止。
私は結局2ヶ月もの間入院していたのですが、
その間、友人や家族等、一切会えない日々が
この時始まりました。看護師さん達の笑顔だけが、
唯一の癒しでした。
本来なら1ヶ月程度で(排液ドレン付きだが)
退院しても良いとは言われてたのですが…
私が入院中、まさかの父と母が2人とも脳梗塞で倒れ、
2人とも入院。私も入院。
全滅状態でした。(姉は嫁いでるので市外)
私が倒れたから、私のせいだ、と、
自分で自分を責めるだろうと、
姉はギリギリまで黙ってましたが…
実は両親とも入院した。家には誰もいない。
もし万が一ドレンの管が抜けたり等何かあったら
誰も助けてくれる人はいない。
世間はコロナ禍真っ只中。
もうしばらくそこに居なさいと…
まあ…ショックではありましたが、そういう事ならと。
医師達も事情を知り、じゃあ…もうしばらく居なさいと。
腹をくくりました。
点滴が終わり、流動食→五分粥→全粥と食べられる様に。
傷の痛みもだいぶ落ち着いて来た。
理学療法士が来た時だけじゃなく、
自主的に歩いてみよう。少しずつ距離を伸ばしていく。
ストマの処理もビビりながらも練習を重ね、慣れていく。
入院中に傷はほぼ完全に癒え、ストマ処理も大体バッチリ。
毎日毎日病棟内の廊下を、
1日1万2千歩を目標にひたすら歩き続けました。
(あの人1日中歩いてる?と、ちょっとだけ有名人に)
2020年5月24日
傷も塞がった、ストマ処理もバッチリ、体力も充分。
いよいよ退院。
どうせコロナ禍で誰も迎えに来ないし。
あえて?日曜日退院を選択。
2020年6月1日
仕事復帰。
それから2ヶ月後、両親がリハビリ病院から退院。
自分自身がオストメイトというハンデを負いながら、
両親の介護という、なかなかヘビーな生活が始まります。
話し戻りますが、正体不明のソフトボール嚢胞ですが、
たまたま偶然、塞いであるはずの直腸と癒着?し、
肛門から粘液便として、少しずつ、少しずつ
出て来ていました。実は排液ドレンは退院後もしばらく
付いたままだったのですが(ガンダムのザクみたい?)
肛門から出ているのであれば、要らないかと判断し
退院後更に1ヶ月経過後引き抜きました。
後は、皆さんと大体同じだと思いますが、
定期的な通院を繰り返しながら、
ストマとお付き合いの日々。
私の場合は、そのソフトボール嚢胞が
完全に消え去らないと元に
戻せなかったので…
何度も何度もCTやら採血検査をし、
内視鏡検査を経て「完全に消えた」
いよいよ元に戻せる時が来ましたよ、
と医師判断が出るまでに、実に1年8ヶ月もかかりました…。
私の場合は、大変な事といえば、どちらかと言えば
両親介護の方でした。平日の昼間はデイサービスやら
訪問ヘルパーなどを利用し、やりくりしてもらってましたが、
朝食、夕食の準備、後片付け、掃除洗濯、
トイレ掃除、風呂掃除など、今まで母親に任せっきりで
何にもして来なかったズボラ人には
これらが1番きつかったですね。
タバコは退院と同時に辞めました。
コンビニへは滅多に行かなくなりました。
安いスーパーで3割引やら半額のお惣菜など、
いい意味でケチ?になりました。
自分自身と、両親の医療費控除(確定申告)やら、
何か色々社会勉強させてもらった気がします。
コロナがあっても無くても…
まあ必然的に自粛生活になりました。
2021年11月11日
いよいよ元に戻すべく、再度入院。
(その前に両親も再度リハビリ病院へ入院させて)
下剤飲んで、翌日(12日)手術しました。
相変わらず痛い…痛くて堪らん状態にも関わらず、
看護師は「歩きましょう!」マジか…
でも、懐かしい顔ぶれ。数人異動したみたいだか、
昨年と、ほぼ同じ看護師達の顔ぶれ。
「おっ!いよいよ閉じたんですね!長かったね!」
など、声かけてもらったり。
術後4〜5日目ぐらいから、段々と動ける様に。
点滴、排液ドレンの管など、徐々に外れて身軽に。
術後7日目で、久しぶりのシャワー。気持ち良いです。
ガシガシ洗い過ぎて、少し顔がヒリヒリ…
2021年11月22日
退院。縦の傷とストマ後の穴?にガーゼを貼りながら
傷が癒えるのを待っている状態です。
現在は体力をつけ、再び両親を向かい入れつつ、
仕事に復帰する準備中です。
以上です。
ダラダラと長ったらしく、すいませんでした。
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1年8カ月ですか!長かったですね。普通は半年くらいですからね。いや~ご苦労様でした。まだまだ無理しないで、焦らずに、回復されることを願ってます。メール、ありがとうございました。
お〜掲載されてるw
医療技術の方ですが、多分従来と変わらない、普通の術だと思います。
人工肛門になった時はハルトマン術とか言ってました。
閉じた時は…多分通常の閉鎖術。
肛門と直腸を繋げる際、自動吻合機?という機械を使用して、ホチキスの様にガチャンとワンタッチで接続する手法を用いた様です。手縫いだとやはり時間がかかるし、腕の良い/悪いで差が出たり。
自動吻合が1番早く、手術の仕上がりも安定するんだそうです。
医療技術の方ですが、多分従来と変わらない、普通の術だと思います。
人工肛門になった時はハルトマン術とか言ってました。
閉じた時は…多分通常の閉鎖術。
肛門と直腸を繋げる際、自動吻合機?という機械を使用して、ホチキスの様にガチャンとワンタッチで接続する手法を用いた様です。手縫いだとやはり時間がかかるし、腕の良い/悪いで差が出たり。
自動吻合が1番早く、手術の仕上がりも安定するんだそうです。
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ギーヌさん、こんばんは。具合は如何でしょうか?
わたしもハルトマン術でストマになり、ストマ落ちは、手縫いでした。
自動吻合だと思ってましたが、内臓脂肪が多くて、手縫いになちゃったみたいです。
ストマ跡も「巾着」手縫い。ゆえに5時間もかかってしまいました、、、、。
わたしもハルトマン術でストマになり、ストマ落ちは、手縫いでした。
自動吻合だと思ってましたが、内臓脂肪が多くて、手縫いになちゃったみたいです。
ストマ跡も「巾着」手縫い。ゆえに5時間もかかってしまいました、、、、。
by kzkwglider
| 2021-12-04 06:59
| 大腸穿孔(S状結腸憩室穿孔)人工肛門
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