遥かなるライセンサーへの道 その4
2015年 01月 22日
さあ、いよいよライセンサーを目指して、「練習」開始です。本人は決して「訓練」だとは、考えていませんでしが。
最初に入会したグライダークラブは、日本でも大きな規模でした。過去形なのは、辞めてしまったからで、その理由は、今後の記事をお読み頂ければ、理解して頂けるかと思います。更新が続けば、の話ですけど。
河川敷には広大は3本の滑走路があります。堤防をはさんで格納庫とクラブハウス、複座の練習機が2機、曳航機やモーターグライダーなどが、5機くらいセットアップしたまま格納庫の中に駐機してます。かなりな広さです。
土日祝日の活動日、午前8時半頃からボツボツとメンバー集まってきて、準備が始まります。
格納庫からグライダーや曳航機を堤防を超えて搬出します。複座のグライダーは、スパンと呼ぶ翼の幅が18mもありますから、格納庫から出すのはギリギリだし、狭い堤防を横断するのにも神経を使います。もちろん、クルマで引っ張ります。車検切れのボロいクルマですけど。
グライダーを壊すのは、飛行中や離着陸よりも、地上での扱いを誤ったケールが8割以上と言われています。とても繊細なんですよね。
先輩からは容赦のない指示が飛びます。もっともだと思います。時には怒鳴られる事も。やっぱり体育会?早くも疲れちゃいますね。
社会人のグライダークラブには、概ね二つの「派閥」みたいのがあって、前述の学連OBと、もう一つは、エアラインの元パイロットや整備士など、職業としていた生粋の飛行機乗りです。少数ですが、自衛隊の元パイロットもいます。
生業として飛行機に携わっていた方々なので、強烈なオーラを発してますね。それを放っているのは、いわゆるプライド、ってものでしょうか。
乗客の命を預かる職業だっただけに、練習生に求めるレベルも高いです。ありがたいことです、リスキーなスポーツですから。でも、訓練生になっちゃうんですよね、彼らから見たら。
学連OBや元747ジャンボの機長だった教官が後ろに乗って、「訓練」が始まってしまいます。教官それぞれに個性がありますから、二人だけのコックピットの空気、まあご想像できると思います。
最初から上手に操縦できる人は、いません。後席の教官から指示が飛びます。エンジンのない滑空機、風切り音だけで静かな世界ゆえ、生声がよく通ります。
間違った操舵をすると、容赦なく、操縦桿を修正されます。まあ、当然なことです。問題は、なぜ間違った操縦なのか?どうすべきだったか?のアドバイスの表現方法なんですよね。
教官はあくまでも「ボランティア」ですから、決まった日に来るわけではなく、クルマの教習所のように、指名することは、ほとんど不可能です。
ゆえに、毎回違った教官と同乗することが多いですね。皆さん個性豊かですから、教え方も同じく個性的です。
戸惑います。混乱します。まあ、当然です。
教官によって違うクセを、見抜くこと。これ重要です。もちろん、操縦感覚を身につけながらですから、「訓練生」の苦労は続くことになります。